冬至、クリスマス、聖夜の闇に生まれた清らかな光を内に抱き、私たちはまもなく年の瀬を渡ります。この一年、大きなトピックスがあった人も、なかった人も、皆等しく、未来は現在に、現在は過去に、過去は未来へとつながっていきます。時のタクトは均等に打たれていても、ある記憶は何度も巻き戻され、強化され、またあるものは先送りされ、忘れ去られたりするものだというのは、本当に興味深いことです。
今年7月、イギリスからの帰国途中、成田で国内線に乗り換えて名古屋へ向かったときのことです。夕映えが名残惜しそうに消えていく黄昏、町々や道路に明かりが灯り、眼下に青く浮かぶ富士山が見えました。突然、温かいものが私の中に流れ込み、素直にこの国が大好きだと思いました。そしてそれは、この地に生きる人々をも指していました。セントレアが近づき、機体が降下を始めると、イメージはさらに明確になり、家族や友人、仲間など一人ひとりの顔が浮かんできました。何とも言えない充足感に包まれて、これが「愛」と名付けられたものなのだと、深く悟りました。気づいたのはもう一つ、その日常にはなかった、上空から世界を見下ろすという視座のちがいです。
冒頭の谷川さんの詩の中に、「光がなければ眼はなかった/眼は光りの子ども//目に見えるものが隠している/目に見えぬもの」という一節があります。見えているのに何も見ていないことや、思い込みや癖で見えなくなっているものがいっぱいあることは、わかってはいても、立ち位置を変えたり、全体を見渡すパースペクティブな視野はなかなか得られません。
そんなときの心強い味方は、他者の視点です。これまでBFRP東海では毎月、読書会やレメディ研究部で、グループで読み合ったり、話し合ったりすることを続けていますが、それこそ、参加する人の数だけある視点の違いにハッとしたり、経験や知識を越えた新鮮なまなざしにはどれほど鼓舞されることでしょう。
そんなところから、今秋、読書会が11巡目に入ったのを機会に、第1章から自分なりの読み方を記録しておこうと思いました。またレメディ研究部で取り上げた植物に関しても、その時々、初心に立ち返って私のレメディ観を書いていきます。一巡りする頃にはまた違う宝探しができるかもしれませんが、よかったらぜひお付き合いください。
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12月のバッチフラワー マスタード
なんじ自身を癒せ 第2章
12月25日から1月5日までの聖十二夜では、毎夜見る夢で新たな一年を占いますが、私は見た夢をすぐに忘れてしまうので、これまでに十二夜すべての夢を書き留められたことがありません。今回はどうかしら。ともあれ眠りの前後、微睡みの時をいつも以上に丁寧に過ごし、欲望から希望へと、ゆっくりとまた着実に歩んでいきたいものです。
すべての人のうちに宿った光が、尊く厳かなものでありますように。クリスマスの祝福が皆さま一人ひとりの上にありますように。今年一年、ありがとうございました。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。中村かをる